『どんな球を投げたら打たれないか』著:金子千尋

私は子供のころから野球を続けており、いい歳した今でも草野球チームに所属し毎週のようにプレーしている。学生の頃は内野手だったが草野球では主にピッチャーを務めている。思うに、ピッチャーというのは専門職である。まずピッチャーの投球動作というのは非常に複雑で繊細であり、ある程度の訓練が必要とされる。運動神経がいいだけではストライクはとれないのである。そもそも普段平地で運動している人にとってはあのマウンドというのが投げにくくて仕方がない。そして投球動作の難しさに加え、心理面の難しさも大きい(他のポジションが気楽というわけではないが…)。投球練習ではストライクが簡単に入るのに、相手バッターが打席に入るとなぜかストライクゾーンに入らなくなる。フォアボールを一つや二つ出すと腕が縮こまり、球の勢いも無くなる。ランナーを満塁にしたあたりから自チームの空気が冷たくなっていくのが分かる。

例えば投球動作をある程度習得し、ストライクゾーンに速い球を投げられるとすれば、試合ではその同じフォームで投げ続ければいい。しかしそれが難しい。試合開始直後の緊張した状態や、ここを抑えれば試合終了という場面の焦り、あるいは仲間が大量得点をあげてくれ安堵してしまった場合など、何かのきっかけで心理面の均衡が崩れ、投球動作のどこかに小さな影響が生じる。複雑で繊細な投球動作ではその小さな影響により投げる球の勢いや行方が大きく変わることもある。私は最終回で気負ってしまうのか、フォームが崩れることが多い。ピッチャーに求められる資質というのは二律背反的で酷なものがある。精密で複雑な投球動作を実現するための細やかさと、いざ試合において雑念が生じないような鈍感さ。よくピッチャーはお山の大将、田舎の大将、みたいな言われ方するがまさにそうである(私は全く大将的ではないので苦労している)。

そんな私が今更ながら読んだのが本書である。日本を代表するピッチャー金子千尋(2019年現在登録名は金弌大)が沢村賞を受賞した2014年に著したものである。独特の感性を持った個性派選手と評されることも多い著者がその独特の投球論を語る本書は、存外草野球の選手にもたいへん参考になるものであった。とくにピッチャーの心理を把握し制御するメンタル術はすぐにでも試されたい。

さて、力まずに気負わずに投げることが同じ投球動作を導くと先ほど書いた。ではどうやって!?本書によるとその答えは「投げようと思わないで投げる」だそうです。投げたくない、でも投げなくちゃいけない、言ってしまえばイヤイヤ投げる、と。仕方なくピッチャーズプレートを踏んで、後ろに引いた足を上げて…そうしたら後は“仕方なく”ボールを投げるしかない。これは私にとって衝撃的な考え方であった。相手を抑えてやろう、速い球を投げてやろう、と無意識に欲を出してた自分に気づかされた。

投球動作を行っている瞬間というのは実はとても長い。1秒ちょっとではあるが、その1秒でいろんな思考が去来してくる。気持ちが乗っているときは実は何も考えてなかったりして、そういうときはいい球がいいコースにポンポン行くもので、敵無しの状態である。調子が悪い時ほど雑念がコンマ数秒ごとに浮かんでくるのである。「この足のあげ方だと右に外れるな…」「ストライクが入らなかったらどうしよう…」という不安を元とした思考が訪れ、精密さが肝要の投球動作に小さなバグを生じさせる。なるほど淡々とした気持ちが安定した投球につながるのか。

また、「そこに投げなくてはいけない」「そこに投げておけば安心」この2つの心理は大きく違うと説く。たしかに、前者ではイやな気持ちが去来し、投げるべきコースから目を逸らしたくなる。投げたいコースをクリアに意識できないとコントロールはぐっと悪くなる。後者では“安心”という言葉のおかげで投げたいコースを意識することができる。これも安定したコントロールには欠かせない心構えであろう。

ピッチャーズプレートに足を置く位置の解説も面白い。セオリーでは右ピッチャーはプレートの三塁側を踏むことで、右バッターには背中側から球が来るように感じさせる角度あるボールを投げられるとされている。これを著者はセオリーと反対の一塁側に足を置くとしている。バッターにとって脅威である角度のあるボールを捨てることになるが、角度が無くなることでコントロールがつきやすくなる。とくにシュート系の球はコントロールしやすくなるらしい。バッター目線で考えるならセオリー通りのプレート三塁側だが、ピッチャー目線の投げやすさを優先するわけである。

勝負事は相手に勝つことが目的ではあるが、その前に自分に勝たなければいけない。自分の力を発揮させることへの工夫が安定した活躍につながるのだろう。

 

 

僭越ながら自分も先日草野球のマウンドで本書の投球エッセンスを試させてもらった。まずプレートに置く足の位置を一塁側に持って行ってみた。これがなんと大変投げやすいのである。素直にまっすぐ足を踏み出し、まっすぐ腕を走らせれば、難なくストライクゾーンに収まってくれるのである。考えてみれば三塁側からゾーンに投げるのであればいくぶん無理をしなければいけなかったのだろう、まっすぐ脚を踏み出せば上半身は少し外角に向けてひねらなければいけない。イメージとしては腕の軌道がプレート一塁側投球ではまっすぐな滑走路で、プレート三塁側投球では少しカーブのついた滑走路(そんなものは無い)である。シュート系の球もゾーンに投げやすい。そして何より、バッターの内角を狙う際の窮屈さが無くなることでデッドボールを与える不安が減り、安心して腕を振ることができるようになった。

マウンドでの心構えも「仕方なく投げる」ようにしてみた。なんとなく気だるいような、イヤイヤ感を体で表現してみたのだが、これまた安定した投球につながったのである。まず投げ急ぐことが無くなった。自分のペースを乱しづらくなったのである。そして投球動作そのものがぐっと良くなった。仕方なく投げるかあと思って動作を始めると、自然と軸足に体重を乗せるようになる。

細かいコントロールを付けるときも、「そこに投げておけば安心」とある種気だるさを含んだポジティブさで臨んでみるとこれが案外いいところに行くようになるのである。

 

 

相手を抑えてやろうとかより、自分がコンスタントにストライクをとれる。草野球ではとにかくこれが大事である。

もちろん本書ではプロの息詰まる勝負・駆け引きについても詳しく書かれており参考になるかは別として、読み物としてもとても面白い。

 

『なぜ、あなたの仕事は終わらないのか』著:中島聡

最初の2日で8割終わらせる!

 

マイクロソフト本社でWindowsの開発に携わり、現在はソフトウェア会社のCEOを務める著者による仕事術の本。仕事を任されたら最初の2日で8割方完成させて、あとの時間は余裕を持って完成まで持っていこう、という主張である(正しくは2日ではなく、締め切りの2割の時間。締め切りが10日であれば最初の2日となる)。この最初の2日間は脇目も振らず、電話もメールも無視、“20倍界王拳”のごとく自分の持ってる力以上の集中力を発揮して仕事を進めていくのである。締め切りを守れない人はラストスパートに力を注いでしまい、直前でバタバタし、ミスも多くなり、徹夜もして、結局締め切りを守れない。ラストスパートではなくスタートダッシュ。早々に8割できたらそれが叩き台やモックアップとなり、その後の推敲やレビュー、方向転換もうまく行きやすい。

 

本書では主に時間管理での利点が説かれているが、私はこのやり方はモチベーション管理やクリエイティビティ発揮の面からでも大いに利点があると思う。たとえば私の場合新しい案件のオリエンを受けたりすると、話を聞いている最中から終わった後にかけてが一番脳が活発で、アイデアややる気が渦巻いている。だったらその初期衝動で一気にモックアップを作り上げるべきなのだろう。もちろん同時に他の案件を抱えているのだが、他の案件も8割方できているのであればその余裕もあるだろう(今まではオリエンを受けたその日は真面目にも残っている他の仕事を片付けていたりした)。

ということでこのブログ記事も本書を読み終えるや否やで書き始めている。良い感触である。読み終えた後が一番気持ちが新鮮であり、その気持ちをとぎらせずに書けるので、一気に進めているドライブ感がある。考えてみれば自転車でも高速巡行しているときは移動距離が長いわりに疲労は少なく、逆に信号などで停止・加速を繰り返しているときは疲労感は強く、移動距離はあまり無いものである。人間再始動するのに肉体的・精神的エネルギーを使うのである。

自分のデザインの仕事はどうしてもある種ひらめきの部分、アイデアやコンセプト、構想(夢想?)みたいなものを核に進めていくものなのでこの最初の2日で一気に進めるやり方がはまるかどうか未知数ではあるが、それでも調査分析やプレゼン準備みたいなルーティンのような要素はあるので、そういうのを最初にドドドっと仕上げて、かつコンセプトの叩き台もババっと作ればあとの8割の時間でさらに創造性を追求できるようになるのかもしれない。

『野球崩壊』著:広尾晃

誰のための野球界なんだ?

何のための野球なんだ?

 

 

現在日本プロ野球の観客動員数と各球団の収支は以前(例えば20世紀)より大幅に改善されており、ここだけ見れば日本の野球の今と未来は明るい!と思えるのだが、その実このままでは将来は暗く、今もすでに暗いのである。本書は日本のナショナル・パスタイムたる野球の惨憺たる現状と課題を明確に記述した全野球人必読の書である。

提示された日本野球界の問題点は多く、重い。子どもたちの野球離れ、金まみれ体質、「マフィアが指導している」とまで言われるパワハラ・暴力問題、団結できない野球界…運動部に所属したことのある人ならピンと来るかもしれない。多かれ少なかれ日本のスポーツ界には似たような問題はあるだろう、しかし現状日本で1番人気のあるスポーツである野球の抱える問題はそれに比例して大きい。本書はまずはその問題の原因を解説しているのだが、これがなかなか絶望感がある。例えば子どもたちの野球離れの原因の一つに「親の負担」が挙げられていて、それは遠征時の車による送迎やお茶当番、またそもそも野球は用具などで費用がかかる、という理由なのだが、これはどうやって解決できる?ちょっと考えただけでは出てきようもない。大体リトルリーグや少年野球団の指導者もほとんど無償でやっているのである。崇高なる野球道には多少の犠牲はつきものである、というのが野球人の深層心理にはあるかもしれない。自分自身野球界にいたので、自戒を込めて。次に金まみれ体質、これを解決するのはほぼ不可能なのでは…。そしてパワハラ・暴力、これは少しづつではあるが改善しつつあるのではないか。世の中が変わってきているからである。世間の目によって改善するあたりが自浄作用のなさを表しててそれはそれで闇が深いのだが。さて団結できない野球界については、これは野球にかかわる団体が分かれていて統括する存在がいない(プロ、アマ、学生、社会人など主催団体が分かれている)、各プロ球団が企業宣伝のために存在しており各々の利害が一致できない(もともとが各新聞社などの販促の一環だった)、という如何ともしがたい原因があるからである。誰かが犠牲を払わないといけないのか。

そして日本プロ野球の根源的な問題の指摘が重く鋭い。「そもそもの理念が無い」。である。

プロ野球の対抗馬であるJリーグが掲げた「Jリーグ百年構想」というものがある。それは、「スポーツでもっと幸せな国へ。」というビジョンのもと打ち出された計画である。ビジョン実現のための目標として

あなたの町に、緑の芝生におおわれた広場やスポーツ施設をつくること。

サッカーに限らず、あなたがやりたい競技を楽しめるスポーツクラブをつくること。

「観る」「する」「参加する」。スポーツを通して世代を超えた触れ合いの場を広げること。

というのが宣言されている。…つまり、自分たちの究極目標は金もうけでは無いです、ということである。自分たちが世の中にどう貢献したいか、である。

こき下ろすようで悪いが、ここで日本プロ野球機構のスローガンを見ていただきたい。2018年のスローガンは「野球の夢。プロの誇り。」である。非常に興行的である。このスローガンそれ自体は悪くない。興行を盛り上げる意図なら良いとは思うが、野球界、ひいては世の中に貢献したいという意志が感じられない。企業の理念もそうだが、世の中に貢献したい気持ちが無いものは知らず知らずのうちに足元を見られるものだし、尊敬されない。そもそも毎年コロコロ変えてることが理念のなさを表している。言うは易し行うは難しではありますけどね。

 

将来の野球人気への不安で、本書で表現された言葉で秀逸なのが、「野球への親近感が薄れている」であった。野球競技人口の減少が叫ばれて久しいが、実はリトルシニアやボーイズリーグ、強豪高校野球部など、野球エリートの人口は減っていない。一方で一般の人や子どもたちの野球離れは進んでいる。これを「野球への親近感が薄れている」と表現しており、人々の興味・関心が細分化された現代では仕方の無い面もあるが、これでは業界が先細るだけである。

そして「マフィアが指導している」とまで言われるパワハラ・暴力。これは日本の体育の一番の病理であろう。私自身少年野球に始まる野球歴があるが、2019年現在ですら、少年野球における暴言はひどい。「てめぇ何やってんだ!」「お前気抜いてんじゃねぇぞオルラァ!!」何故罵声を浴びせる?子どもたちに野球を好きになってもらいたくないのか?

…ただ、少年野球のコーチたちは悪い人間ではないはずだ。そもそも自分の休日投げうって指導にあたっているのだから。罵声は浴びせるが、面倒見はいいという一面のある人たちばかりだろう。私思うに、根本の問題は人間性ではなくて、野球界のコミュニケーションのプロトコルなのではないかと。本書で紹介されてるアメリカの少年野球のコミュニケーションの取り方では、たとえばエラーしても「ナイスチャレンジ!次はもう一歩踏み出せばとれる!」というとのこと。しかしどの国でも人間の本心は変わらないもので、失敗を改善してほしいという思いは皆あるだろう。ただ他人への問いかけの仕方は違う。日本人はそこを会得したらよいのでは、と。自分自身を省みて、他人をやる気にさせる言葉を選びたいと思う。

 

読んでいると暗い気持ちになる本書だが、一方で光も覗く。野球界の現場で奮闘している人たちのインタビュー。独立リーグで奮闘している鍵谷さんのお話は力強い。問題点は俎板に乗せた。あとは一歩一歩やるしかないだろ!という気概はどの業界でも一番大事なことだ。

筆者による野球界への提言も鋭い。Jリーグ100年構想に加わるべきという提言は、野球というカテゴリーに留まるな、自分たちがスポーツを通して社会へどう貢献できるか問うべきだ、というスケールの大きくかつ根源的な提言である。(ただ実行できるかと言われると…)

 

 

野球というのはある種政治ドラマみたいな複雑さ・面白さがある。その様を見るのは日本で生きていく上でおおいに勉強になるが、そんなことはとっぱらってとにもかくにも、子どもたちには野球を好きになってほしい。本書にて記された、アメリカの子どもの発した言葉、

「明日も明後日も野球がやりたい!」

仮に自分が指導者だったら、これ以上素晴らしい言葉はない。

書評『ならず者たちのギャラリー  誰が「名画」をつくりだしたのか?』著:フィリップ・フック

有名なオークション会社『サザビーズ』の重役が綴る美術品とそれを扱う画商の歴史。このテーマ、ともすれば学術的でお堅い内容になってしまいそうで一見触手が伸びなさそうではあるが、本書のカバーデザインがそんなことは無いと伝えてくれる。カバーに用いられている絵はモディリアーニの『ポール・ギヨームの肖像』。ポール・ギヨームはモディリアーニを扱った画商である。不敵な表情(モディリアーニの描く人間は大体そんな顔をしてる)のギヨームが眼を惹き、その傍に程よく大きく「ならず者たちのギャラリー」とある。まるで映画のポスターのようなインパクト。この本はお堅い本じゃなくて刺激的な本だよ…と伝えてくれる。モディリアーニもさることながら、担当されたデザイナーさんにも拍手である。参考にさせていただきます(調べたら百戦錬磨の御方だった…ひえ~っ)。

画商というのはやはり商人であり、どうしても金に目ざといというイメージがあるが(実際そうだとしてもなんら悪いことではない)、一方でアーカイブを作成するなどの文化機関としての役割、そして美術の新しい歴史を切り開くパイオニアとしての役割も担っている。本書ではそんなパイオニア的な画商が登場するが、彼らの生業における手練手管が面白い。

19世紀後半のパリにて、モネやマネ、ドガらサロン(官展)から遠い位置にいる彼らを見出して支援した印象派のプロモーター画商デュラン=リュエルは、ニューヨークでモネの新作絵画展を開くと発表したのち、オープン1週間前に急遽展覧会をキャンセルした。その際にプレス向けに出した説明が秀逸である。

10万ドルの市場価格をもち、そして3年にもわたる絶え間ない仕事の成果を示す絵画群が、昨日、クロード・モネによって破壊された。なぜなら、彼自身がその作品に満足がいかないという確信にたどり着いたからだ。…デュラン=リュエル氏は、「ニューヨークタイムズ」紙の通信員に、すでに告知していたように展覧会を開催できないことに自信ももちろん失望しているが、その一方でモネ氏の行為は、彼が芸術家であり、単なる製造者ではないことを示しているのだと語ってくれた。

これが仮にモネが遅筆で展覧会に間に合わなかった場合のごまかしだとしても、これは上手い。モネは本物の画家であるという評判を与え、市場における希少性も演出し、市場価格を上げるウルトラC的な手立てである。そして次回の展覧会において展示された作品はモネの満足のいくものだというセルフお墨付きも発生するオマケ付きだ。

サザビーズの元会長ピーター・ウィルソンはオークションのイメージを大きく変えた。その手法も面白い。

まず従来は日中に開かれていたオークションを晩に遅らせ、参加者には盛装のディナー・ジャケットの着用を義務づけることでオークションに高級感と非日常感をもたらした。それまでのオークションはどちらかというと破産管財人が開くような、在庫の処理みたいな印象を持っていたが、高級人士がつどう憧れの場に変えたのだ。そしてオークションで最低保証価格を下回ることが無いよう(下回ると損失が出るだけでなくオークションの権威にもかかわるからだ)、サクラの参加者をもぐりこませることも忘れていなかった。

他にも数々の画商たちがあの手この手を繰り出しており、思わず感心してしまう。とはいえブログに書ききれない&忘れてしまったのでここには記さないけど…

 

 

実は私は大学で美術史学を専攻していた。卒論は『印象派の画家と画商』という題目で書いた。なぜ今現在高値の付くゴッホは生前売れなかった?という疑問から発生したこの題目だが、ある意味では私の進路を決定づけてくれたのかもしれない。ゴッホ(印象派ではなくポスト印象派ではあるが)が商業的成功を収められず、モネやルノアールが成功をおさめられたのは画商の尽力があったんだよ、というのが私のショボい卒論のショボい帰結であるが(学部生の卒論なんてそんなもんだ)、今やっているデザインの仕事も同じようなもので、デザインはクリエイティブな職種ではあるが、実は元となるコンテンツや製品を作っているわけではなくそれらを広める・伝えるための広告なり雑誌なりを作っており、デザインという切り札でクライアントをプロデュース・コンサルティング・プロモートするこの仕事は、作品を売るために奮闘する画商のようでもある。私は本書に登場する画商のようなしたたかさは無いが、クライアントの真価をデザインで世に伝えるぞという情熱は、惚れ込んだ画家を世に広めんとする画商と同様のものであると自負している。

 

 

大学で学ぶことというのは実は18歳そこらの若僧にはもったいないのではないかと思っている。私の専攻の美術史にしても、作品だけ見ていればいいわけではないし、どうしても人間というものを知っていないと分かりようもなく、それはやはり…難しい(ちなみに作品を見るのもまったくのナイーブでは分かりようもない)。社会に出てそれなりに経験を積んだ今、学問というものをもう一度やり直したい気持ちがある。

2018年読んだ本を振り返る~時間と重力~

2018年もあと数時間で終わろうとしている。今年は時が過ぎるのが早かった。去年(2017年)の今頃忘年会でひどく酔いつぶれた後輩を救急車に乗せていたのがつい先日のことに思える。

今年は物理学の本を多く読んだ。と言っても文系向けの複雑な数式の出てこない本ではあるものの、物理の最先端である量子論や超弦理論に興味を持っていろいろ読み漁ったが、やはり難解、広大。とにかく人間の直感では理解できない世界なのである。

以下その中でも“時間”の理解に示唆を与えてくれた本をいくつか。

 

【図解】相対性理論と量子論』監修:佐藤勝彦 PHP研究所

シャーロック・ホームズとワトソンの会話形式で相対性理論を解説する形式で、非常にわかりやすい。入門、おさらいに是非。文中で探偵学の公理として「あり得べからざることを除去していけば、後に残ったものがいかに信じがたいことでも、それが事実に相違ない。」という言葉が登場する。この言葉はある意味物理学、ひいては科学的態度というものを言い表した言葉である。私が本書を読んでいる最中、そして他の物理関係の本を読んでいく中でも何度も思い出されていった。

相対性理論は要するに、宇宙のどこででも時間は一様に流れているという絶対時間観を否定し、時間は状況によって早く流れたり遅く流れたりするんだよ…という話なのだが、これがまず人間の直感では理解しようがない。理屈としては、小学校の算数で習った「じかん=きょり÷はやさ(はじきの法則ですね)」のうち、光の速さは秒速30万キロで固定されているんだからあとは変動できるパラメータは距離と時間だよね、だから時間も変化するんだよ、と。先述の「あり得べからざることを…」で考えればまあそうですけど…と渋々理解。

重力とは何か』著:大栗博司 幻冬舎新書

重力が強いと時間は遅くなる。空間は曲がる。意味が分からないでしょ? まず、重力がなぜ物質を引き寄せるか。それは重力が空間をゆがませて、あたかもすり鉢を転がり落ちるかのように“物体を落下させるから”である。ここまでは私もなんとか分からなくもない。空間が歪むということは光が進む距離も変わる。光の速さはどの場所でも不変であるから、先述のはじきの法則で言うと、時間・距離・速さのパラメータで速さ(光速)は不変だから距離が変われば時間も変わるでしょ、と。理屈は分かる。しかしド文系の私の感覚で言うと、重力というパワーがなぜ時間という概念?に影響するのだ!?という戸惑い・憤りがぬぐえない。ここはもう「あり得べからざることを…」というマインドで理解するしかない。ちなみに本書の説明が悪いわけではない。むしろ難解な理論を分かりやすく解説しており、多くの方に是非是非すすめたい。重力、面白いです。

 

E = mc2 世界一有名な方程式の「伝記」』著:デイヴィッド・ボダニス ハヤカワ文庫

物理の説明を交えつつ展開される人類のドラマ。はるか紀元前、古代ギリシアのデモクリトスが青い海の波が岩場に砕けると白くなる様を見て「万物は原子である」と喝破したところに始まる人類の探求心。世紀の天才アインシュタインはいかにして相対性理論にたどり着いたか。そしてその先にあるドイツとアメリカによる原爆開発競争の息詰まる様。圧巻の一冊。個人的には今年読んだ本のベスト3に入ります。時間の話はそこまで出なかったかも。

脳と時間』著:ディーン・ブオノマーノ 森北出版

そして真打登場。“時間”を物理学と神経科学(主に脳科学)で解き明かす渾身の一冊!前半は人類の進化の中でいかに人間の脳が時間というものを認識するようになったか、そして時間という概念を生み出したか、という論に費やされ、後半は物理的に時間とは何か、そして心と時間、という話が展開される。いろいろ書きたいことがありすぎて…

●「現存主義」と「永遠主義」

現存主義とは、現在のみが実在しており、過去はかつて存在した形態であり、未来は未だ来ず、不確定であるという考え方。人間の感覚ではこちらは賛成しやすいですね。永遠主義では過去と未来が現在と同等に実在している、という考え方。現存主義の考え方ではタイムマシンによる時間旅行は不可能としているが、永遠主義では可能とされ、あたかも空間のあっちとこっちを行き来するかのように、時間も空間のようなものだとされる。

●時間を表現するメタファーはなぜか空間

「あれはすっきりと“短い”コマーシャルだった」「返答をいただける日はもう“目の前”ですな」「今日の一日は“飛ぶような”速さだった」「時が“過ぎ去って”いく」。短い、目の前、飛ぶような、過ぎ去って。これらはすべて本来空間を表す言葉である。人間は空間を認識するように時間を認識しているのではないか。

その他、子供の頃はなぜ時間が過ぎるのが長く感じたのか、心的時間旅行、などなど書き出すときりがないので…興味がある方はぜひご一読ください。

 

いろいろ読んでド文系の私が思うのは、時間というものが多くの解釈ができるのも、また状況によって相対的なのも、時間というものが実体を持たない“概念”だからなのではないかと。人間は太陽の浮き沈みの繰り返し、季節の移り変わり繰り返しに“経過”を見出したが、人間のいない宇宙を想像してみて、地球が太陽の周りをぐるぐる回っているのも、原子核の周りを電子がぐるぐる回っているのも、ひとつの“現象”であり、そこには過去も未来も無いわけで…時間というパラメータの無い宇宙を想像すると案外すんなり理解できるんじゃないかなと思った。

しかし相対性理論をはじめとする…

 

 

あーあ、とか何とか書いてる間に年が明けてしまいました。今年の抱負は「約束の5分前に絶対到着するマン」になる、です!今年も宜しく!

書評『スッキリ中国論 スジの日本、量の中国』著:田中信彦

中国人は列に割り込む…よく言われることだし、自分自身中国で割り込みを何度となく見かけた。しかしいつも不思議に思っていたのは、「割り込まれた方はまるで気にしていない」ということだ。怒りを抑えているという感じには見えず、そもそも意に介してないようにも見えた。なぜ割り込まれたのに怒らない…?この長年の問いを“スッキリ”させてくれたのが本書だ。

本書は「スジの日本、量の中国」のとおりスジ思考=日本式、量=中国式という構図で終始展開される。その説明事例として「中国人はジュースを買うときに小銭を借りても返さない」というのが本書ではあげられている。日本人的にはいかに少額といえど借りたものは返す“べき”であるというのが常識的感覚として共有されているが、中国人的感覚ではジュースを買うくらいの小銭なら貸す側にとって“実質的”に損失ではないので返す必要は(返される必要も)ない、というのがその説明である。これは文化の違いであって、善悪や正邪の問題ではない。日本人は物事の大小ではなく規範で判断し、中国人は観念的規範ではなく現実的影響で判断する、その違いを知れば異文化にストレスを感じることも無いし、対応しやすくなるだろう、というのが本書の主な主張である。

冒頭の「列に割り込まれた中国人はなぜ起こらない?」にもこのフレームワークで答えている。割り込む方は「これくらいの人数なら大して迷惑はかからない」、割り込まれる方は「これくらいの人数なら大して問題ではない」、これがその答えである。なるほど、これは説得力がある。“大陸的”というか大らかというか、何にせよ大雑把だなあと思っていたが、“量”という軸で判断していたのだなあ、と合点がいった。ちなみにこう書くと意外に思われるかもしれないが、私の知る範囲では中国人は思想やイデオロギーにあまり関心が無いように見える。たしかに思想にかぶれても自分の収入が増えるわけでもない。そんなことより自身のビジネス(≒現実)に集中したいよ、と。これも量の思考なのだろう。しかし本書でも書かれているが、この量の思考は個人の生き方としては有効だが国や社会という全体の効率という観点ではスジの方に利があるかもしれない。これも本書の一つのテーマでもある。

ここで本書におけるスジと量のメリット・デメリットをご紹介しておきたい。スジには「行動が計画的になる」「仕事の前準備をするのでスムーズに進みやすい」「行動後の問題の発生率が低い」というメリットがあり、「決断に時間がかかる」「前例にとらわれやすく、変化しにくい」「心配過多で結果的にムダが出やすい」「製品・サービスがオーバースペックになりやすい」というデメリットがある。量には「決断が早い」「臨機応変」「うまくいっている時はムダがない」というメリットがあり、「規範性が低い。人や状況によっていうことが変わる」「継続性に乏しい」「ものごとの本質を追求する姿勢が弱い」「同じ失敗を繰り返しやすい」というデメリットがある。(完全な引用ではないが、一応引用しましたということで)。本書内で何度も書かれているように、ここにあるのは“違い”であって、“優劣”ではない。

さて本書の全6章のうち第1章は主に中国人の性格というものの解説になっており内容的に読みやすいのだが、第2章以降内容が労働観やビジネス観、社会観などの日中比較文化論になり、いい意味で読みごたえが出てくる。以下かいつまんで要約させていただきたい(私の解説や感想が加えられているので、本書の内容を正確に要約しているわけではないことご留意ください)。

●リーンな日本、ファットな中国

リーンとは痩せて筋肉質という意味で、日本企業はトヨタのカイゼンなどに代表されるように経営のムダをそぎ落としつつ効率をあげることが得意であり、それがある種美徳ともされている。対して中国はファット、ぜい肉が多く非効率でムダが多いとしている。中国式経営ではまず“先に”従業員にそれなりの報酬や権限を与えるからである(日本はまずは安く採用し、活躍すれば後で報酬が上がる)。たしかに伸び盛りの中国市場においてはムダのない引き締まった経営をするより、多少のムダは気にせずジャブジャブ投資してでっかく回収するのが良さそうではあるが、今後中国経済が成熟し商品に付加価値が求められるようになるとぜい肉を落とし筋肉質にならないと競争できないのではないか。

●稼ぐなら「投資」の中国、「仕事」の日本

日本人的には「稼ぐ」という言葉は暗に仕事量を増やしたり仕事の質を増やして単価を上げることによって収入を増やす、つまり自分が働くというニュアンスがあると思うのだが、本書で言うところの中国人的感覚では「稼ぐ」というのは自分ではなく投資(=お金に働いてもらう)によってというニュアンスがある。たとえばショッピングモールひとつとっても日本人的には接客を見直したりテナントを入れ替えるなどしてモールの質を高め集客と客単価を向上させる、それが稼ぎになるのだ、と考えるだろう。しかし中国人的にはまずモールを作り、その時点で周辺の地価が上がり、さらにホテルやマンションを組み合わせて付加価値を大幅に高めてさらには地元政府を巻き込み地下鉄や高速道路を引き込んで資産価値を高めていく…と。もちろん日本でもディベロッパーはこのような戦略ではあると思うのだが。ちなみに中国で美術館の新設が盛んなのも同様の理由にあると言われている。このあたりは美術手帖2018年10月号に掲載されている中国人美術評論家・姜俊文氏による論考に詳しく解説されている。

またこの項にはあのWe chat payをはじめとする電子決済システムがなぜ大流行したかの解説もある。気になる方はぜひ本書を読まれることをおすすめする。

●中国人があっさり会社を辞める理由

「安定」とはどういう状態を言うのだろう?日本人のイメージする安定は、しっかりとした会社に属し、できれば定年まで勤めあげることであろうが、中国人的には、世の中は常に変化するものだから、一つの場所に根を下ろさずいつでも転職できるフレキシブルな自分でいること、それが安定である、と。この生き方は中国における個人の生き方としてはたしかに理にかなっているとは思うのだが、一方で企業や本人に経験の蓄積がされにくく、また製品・サービスの改善も成されにくいというデメリットがある。日本式の一見ぬるま湯のような雇用システムも、製品・サービスのクオリティアップの土壌であると気づかされる。そして一方で今のあり方に限界を感じ始めた中国の経営者たちが日本式雇用や管理、職人気質というものに強い関心を持っているとも本項では書かれている。

●スジの日本が生きる道

現代中国の少なからぬ数の中国人が日本製品を愛好している。電気釜や保温ボトル、包丁などがその高性能さゆえに売れているそうだ。これは日本企業が長年人知れず(?)クオリティアップに努めてきたことが、中国のホワイトカラー層の拡大とそのライフスタイルの移り変わりにジャストミートした結果である。今後もこの層は増えていくので、消費者の生活をより良くしていくという愚直なまでの理念で商品開発を続けるべきだ。

 

中国ビジネスの観点だけでなく日本式思考を見つめなおすという意味でも非常に考えさせられる内容が多く、本記事で書かせてもらったのはその一部に過ぎないが、おおむね通底するのは、スピード感を持ってでっかく稼ぐ中国と、少しづつ積み上げていくことを良しとする日本の違いである。作家の邱永漢が「日本人は職人、中国人は商人」という名言を残しているが、スジの思考=職人的、量の思考=商人的、と見なせるだろう。本書でも度々言及されるが、両者に優劣はなく、違いに注目すべきである。たしかに21世紀に入ってからというもの世の中変化が早く、中国式の量の思考が効果を上げているが、日本式のスジの思考には瞬発力こそないものの持続性・持続可能性という利点があるわけで、両者どちらかに主軸を置くにしても一方のエッセンスを取り入れていいとこどりをするのが良いのではないか

 

話は逸れるが、私は2010年に初めて中国の地に降りて以来、中国人・中国社会を理解しようと努めそして多少なりとも分かってきたつもりである。しかしその一方で副作用的に日本人・日本社会というのを改めて知り始めていることに気づいた。海外に行くと自国を見つめなおすとはよく言われるが、まったくその通りである。旅は自分を勉強させるのである。

書評『太陽を創った少年』著:Tom Clynes 訳:熊谷玲美

“14歳にして核融合炉を自作した少年”の物語である。

「!?」

14歳で核融合炉を造る!?

そもそも核融合炉って造れるの!?

という衝撃から手にしたこの1冊。自分の2018年ベストブックのひとつとして、私をはじめとする凡人の皆様におすすめしたい。

 

アメリカ・アーカンソー州のテイラー・ウィルソン君。彼がこの本の主人公である。9歳で“自分で仕組みを理解して自分で作った”ロケットを飛ばし、14歳で核融合炉を造った少年。一言でいえば天才。ギフテッド。本書に記載はないが、IQがすさまじく高いのは間違いない。アメリカだけでなく日本でも博士課程レベルの数理的能力を持った小学生なんかはいるもんだが、凡才の私からするとすごすぎて理解できない。仮に脳がすごすぎて数学的能力が発達している、までは分からなくもないけど、そもそも難しい文章を読むという能力は数理的能力じゃないのでは?となると天才少年って数理的能力と文章読解力(と単語力とか文章構築力とか)の文理にわたる才を持っているのでは?と思ってしまう。とにかく天才とは神秘的である。

本書はテイラー君の天才性を解き明かすだけでなく、両親をはじめとした周りの人間の支え、核融合炉をはじめとした放射線関係の技術解説、アメリカにおけるギフテッド教育の現状・課題といった複数のテーマを小刻みに互い違いに挟みながら描写した力作である。どのテーマも興味深いのだが、特に自分が惹かれたのは、テイラー君が放射線技術に夢中になっている姿である。彼は自分が興味を持ったものには猪突猛進、とことんのめり込む。そして、知能が高いからなのか、興味が強すぎるからなのか、その分野はあっという間に大学生レベルに到達する(独学で。加えて言えば、テイラー君は行動力、物おじしない性格、プレゼンテーション力、というどれか1つあるだけで一門の人間になれる才能を1人でいくつも備えている。さらに絶対音感を持ち幼少時は人を感動させる美しいソプラノボイスで金を稼いでいたという…!)。

テイラー少年は5歳の誕生日には工事用のクレーンを欲しがり、おもちゃのクレーンをあてがわれると「本物が欲しいんだ!」と地団駄を踏み親を困らせたそうだ(父親は本物のクレーンを取り寄せたとのこと…)。小学校3年生のころにはロケットの発射に夢中で、最初は市販の組み立てキット、次には図書館、インターネット、ロケットマニアのショップ、と学ぶ場を駆け足で登っていく(母親はロケットの形をしたオーガニック・ケーキを焼いてあげたそうだ)。10歳の誕生日に「放射性ボーイスカウト」という本に出会い、原子核物理学にのめり込んでいく。核融合炉制作に必要なものは山ほどあるのだが、粒子の加速器やらイエローケーキやらはガレージで自分で作り、ウランなどの材料は鉱山へ取りに行き、機器が無ければ企業へコンタクトを取って譲ってもらったり、と彼の八面六臂の活躍っぷりで地道に目標へと進んでいくのである。

とにかく彼の興味のある分野への夢中な姿は見ていて気持ちがいい。自分ももっと夢中になろう、なれると勇気づけてくれる。これが私が本書を好きな理由である。

…そこで我が身を振り返ってみると、最近何かに夢中になった記憶が無い。なぜ今の自分は夢中になれてないのか?それは仕方のない部分があるのだけれど、やはり大人にとって大事なのは成功することより失敗しないことだから、という面があげられるだろう。例えばスケジュール管理だとか、毎月の資金繰りだとか、経費管理だとか、楽しくはないけど必須なこと、いい大人はそういうことに時間と脳のリソースを割かなければいけないわけで。こういう大人モードな脳の使い方と夢中力が高まる子供モードを使い分けられるようにしたい。今思いつく具体的方策としては、「今日は15時までは子供モード!メール見ない!ネットしない!電話もでない!」と時間を区切るなどしてモードを使い分けるのが良さそうに思える(とくにネット接続を一時切るのは効果ありだと思う)。

最後に寝食を忘れるほど何かに夢中になったのはいつだろう? 人は工夫次第でいつでも何かに夢中になれると思う。何かに夢中になれるというのは、大きな実りをもたらしてくれるし、もっと言えば夢中になっているその時こそが人生のハイライトの瞬間なのだろう。天才少年テイラー・ウィルソン。その頭脳は真似できないが、好きなことに夢中になる姿は私の青春時代を思い出させてくれました。折に触れて読み返して、勇気をもらいたい、そんな1冊です。

ちなみに本書は様々な面白トピックにあふれている。たとえば「ブドウと電子レンジでプラズマを作ることができる(危険なので真似しないこと、とのこと)」「スコッチテープを真空中で剥がすと中性子とX線が発生する」など。本書で言及されるまでもなく科学好きの間では有名なトピックのようですが、私はおおいに驚いたのでした。ああ、あと核融合炉自作についてですが、世界で30人ほどが核融合炉の自作に成功しているそうです。こう聞くとバックトゥザフューチャーのドクもあながち荒唐無稽では無い…?

しかしこの年になって科学に興味を持つなんてね。今年は物理の本を多く読んでいます。何か所感を書き記せられれば、と思っております。

上海・張慈中書籍装幀設計芸術館

中国の書籍装幀デザイン第一人者、張慈中。戦後の新中国成立以降半世紀以上活躍している御仁である。国家の出版物のデザインを多く手掛けており、中華人民共和国憲法や毛沢東選集、党の機関紙『紅旗』なども彼の仕事である。日本のデザインもそうだが、こういう黎明期のデザインは人の手触りが感じられて、どこか懐かしかったりする。

張慈中は1924年上海・楓涇古鎮生まれ。楓涇古鎮の中にこの『張慈中書籍装幀設計芸術館』が建てられたのは2016年の頃、その当時の記事によると本人はご存命とのことでずいぶん長命な方であり、長らく中国のデザインとその発展を見てこられたのだろうなあ、と思う。

館内の解説を読むと元々上海や杭州で広告デザインの仕事をしていたそうで、上海広告デザイン界の“四小龍”の一人と称されたそうだ(この通り名のセンスたまらないですね)。その後広告デザイナーから書籍装幀家へと転向し、北京市の文化委員会主任を務めるなどしながら、わりあい国家的・公的な仕事を多く手掛けてきたそうだ。

中華人民共和国憲法の装幀を1954年に手掛け、その時用いた自作の長宋体が中華字体庫(書体を収めた辞典みたいなもの?)に収録され広く使用されるなど、現代中国の文化に与えた影響は大きい。

 

とまあこんな感じで、デザイナーの私としてはとても興味深く観ることができ、思いの外時間を使ってしまった。

話は変わるが、中国に来た際はぜひ本屋に寄ってみてほしい。中国語が読めなくとも、日本とはまた違った装幀デザインに目を奪われることだろう。ディテールや品質、マーケティング意識などは日本のデザインの方が断然良い。しかし元気さというか、自由さ、彩りの幅広さなどは中国のデザイン、見ていて実に楽しい。

書評『トップコンサルタントが明かす ポストM&A成功44の鉄則』著:田中大貴

企業のM&A後の統合をPMI(Post Merger Integration)と言う。M&Aは実行だけでなくその後の制度や仕組みの統合の質が成否に大きく関わってくる。本書はM&A後3年以上経過した“ポストPMI”のコンサルティングの鉄則を解説した本である。

自分は大きな企業に勤めたことも無いしそもそもビジネス畑の人間ではないのだが、企業とは“人”である、という実感を持っている。事業計画からクリエイティブワークに至るあらゆる企業活動は、人心、内心、感情、無意識、そういったものを汲み取らなければいけないと感じている。“経営コンサルティング”というものにはどこかエリート的で、優秀だが没感性的であるというありがちな偏見を抱いていた。しかし本書の筆者自身、所属する会社が実際に買収される経験を持ち、辛い思いをしたという。

買収後、会社の雰囲気は一変した。社内ルールは徐々に買った会社、つまりは親会社色に染まり、社名は思い入れのないモノに変わった。馴染みのある同僚は、変化する会社にとどまることを選ばず、他社に転職していく。「コンサル会社が、M&Aに失敗した」と、周りから揶揄される声を聞くこともあり、寂しい気持ちになった。

そんな一文のあるまえがきではじまる本書は先述の私の偏見とは真逆の泥臭さ、骨太さが随所から感じられる。

M&Aの後社内で発生する問題・課題には「腹を割って議論ができない」「現場が新しいトップの方針に腹落ちしていない」「不安を感じた人材がどんどん辞めていく」などが挙げられる。どれも感情、心といった面からくる問題なので対処しづらいところはあるかもしれない。こういった問題への対処として筆者は例えば「腹を割って議論ができない」ケースには、会議は結論だけでなくプロセスも重視すること、と説明している。曰く、人間急にトップダウンで命令されても素直に受け入れ難いが、自分で考え周囲と議論して出した解には納得感を持ちやすい。「人間は自分が関与しないものには納得しない。ゆえに、会議では、議論の結果だけではなく、議論のプロセスが重要となる。」(本文より)とのこと。また「現場が新しいトップの方針に腹落ちしていない」という問題には「懸念緩和ダイアログ」という対処法を解説している。それはファシリテーター主導のもと、現場スタッフがトップの方針説明に対する疑問や懸念を付箋などに書いて洗い出し、それを元に質疑応答を重ね相互理解を図り、スタッフ間の議論ののち最終的にはトップが再度方針説明をするという方法なのだが、これをやると参加者の不安感は薄まり納得感が増すという。こちらもスタッフの関与というプロセスを大事にしている。そして本書で解説されているその他の対処法も、“プロセス”を大事にしている。結論や正論を上から提示するのではなく、スタッフ同士で議論しあい腹落ちすることが重要だ、と説いている。この本は魔法のような解決法を教えてくれる本では無いが、問題に真っ正面から取り組む気概のある人には相性が良さそうである。

 

ちなみに、組織の統合という課題に対してデザインはどう関われるか?という話をさせてもらうと、デザインにもアウトプットだけでなくプロセスもあり、課題にはこの2つのかけ算で取り組むことができる。

デザインには価値観をビジュアル化し、関係者の意識を方向付けたり統一させ、そしてそれを内外にアピールしていく力がある。例えばCI(Corporate Identity)の分野で教典的な事例としてPAOSによるNTTの変革事例がある。これはM&Aではなく官営企業の民営化の事例なのだが、30万人の巨大組織の変革という大仕事である。ロゴやカラーリングなどのビジュアルアイデンティティー作成、NTTというブランド制定などを通して“NTTらしさ”を創り上げていくのだが、そのアウトプット完成までに社員をはじめとした関係者を対象に多くのヒアリングを行っている。それはもちろん調査のためでもあるが、ヒアリングなどのCI活動をすることで関係者の注目度・参加意識を高めていき、組織の意思統一へと導いていくのである。

 

…とりあえず第一稿公開。後日加筆修正予定。

慣れない分野の本を読んで多少疲れた感もある。そろそろ書評以外のことも書いていこうと思う次第である。