書評『ならず者たちのギャラリー  誰が「名画」をつくりだしたのか?』著:フィリップ・フック

有名なオークション会社『サザビーズ』の重役が綴る美術品とそれを扱う画商の歴史。このテーマ、ともすれば学術的でお堅い内容になってしまいそうで一見触手が伸びなさそうではあるが、本書のカバーデザインがそんなことは無いと伝えてくれる。カバーに用いられている絵はモディリアーニの『ポール・ギヨームの肖像』。ポール・ギヨームはモディリアーニを扱った画商である。不敵な表情(モディリアーニの描く人間は大体そんな顔をしてる)のギヨームが眼を惹き、その傍に程よく大きく「ならず者たちのギャラリー」とある。まるで映画のポスターのようなインパクト。この本はお堅い本じゃなくて刺激的な本だよ…と伝えてくれる。モディリアーニもさることながら、担当されたデザイナーさんにも拍手である。参考にさせていただきます(調べたら百戦錬磨の御方だった…ひえ~っ)。

画商というのはやはり商人であり、どうしても金に目ざといというイメージがあるが(実際そうだとしてもなんら悪いことではない)、一方でアーカイブを作成するなどの文化機関としての役割、そして美術の新しい歴史を切り開くパイオニアとしての役割も担っている。本書ではそんなパイオニア的な画商が登場するが、彼らの生業における手練手管が面白い。

19世紀後半のパリにて、モネやマネ、ドガらサロン(官展)から遠い位置にいる彼らを見出して支援した印象派のプロモーター画商デュラン=リュエルは、ニューヨークでモネの新作絵画展を開くと発表したのち、オープン1週間前に急遽展覧会をキャンセルした。その際にプレス向けに出した説明が秀逸である。

10万ドルの市場価格をもち、そして3年にもわたる絶え間ない仕事の成果を示す絵画群が、昨日、クロード・モネによって破壊された。なぜなら、彼自身がその作品に満足がいかないという確信にたどり着いたからだ。…デュラン=リュエル氏は、「ニューヨークタイムズ」紙の通信員に、すでに告知していたように展覧会を開催できないことに自信ももちろん失望しているが、その一方でモネ氏の行為は、彼が芸術家であり、単なる製造者ではないことを示しているのだと語ってくれた。

これが仮にモネが遅筆で展覧会に間に合わなかった場合のごまかしだとしても、これは上手い。モネは本物の画家であるという評判を与え、市場における希少性も演出し、市場価格を上げるウルトラC的な手立てである。そして次回の展覧会において展示された作品はモネの満足のいくものだというセルフお墨付きも発生するオマケ付きだ。

サザビーズの元会長ピーター・ウィルソンはオークションのイメージを大きく変えた。その手法も面白い。

まず従来は日中に開かれていたオークションを晩に遅らせ、参加者には盛装のディナー・ジャケットの着用を義務づけることでオークションに高級感と非日常感をもたらした。それまでのオークションはどちらかというと破産管財人が開くような、在庫の処理みたいな印象を持っていたが、高級人士がつどう憧れの場に変えたのだ。そしてオークションで最低保証価格を下回ることが無いよう(下回ると損失が出るだけでなくオークションの権威にもかかわるからだ)、サクラの参加者をもぐりこませることも忘れていなかった。

他にも数々の画商たちがあの手この手を繰り出しており、思わず感心してしまう。とはいえブログに書ききれない&忘れてしまったのでここには記さないけど…

 

 

実は私は大学で美術史学を専攻していた。卒論は『印象派の画家と画商』という題目で書いた。なぜ今現在高値の付くゴッホは生前売れなかった?という疑問から発生したこの題目だが、ある意味では私の進路を決定づけてくれたのかもしれない。ゴッホ(印象派ではなくポスト印象派ではあるが)が商業的成功を収められず、モネやルノアールが成功をおさめられたのは画商の尽力があったんだよ、というのが私のショボい卒論のショボい帰結であるが(学部生の卒論なんてそんなもんだ)、今やっているデザインの仕事も同じようなもので、デザインはクリエイティブな職種ではあるが、実は元となるコンテンツや製品を作っているわけではなくそれらを広める・伝えるための広告なり雑誌なりを作っており、デザインという切り札でクライアントをプロデュース・コンサルティング・プロモートするこの仕事は、作品を売るために奮闘する画商のようでもある。私は本書に登場する画商のようなしたたかさは無いが、クライアントの真価をデザインで世に伝えるぞという情熱は、惚れ込んだ画家を世に広めんとする画商と同様のものであると自負している。

 

 

大学で学ぶことというのは実は18歳そこらの若僧にはもったいないのではないかと思っている。私の専攻の美術史にしても、作品だけ見ていればいいわけではないし、どうしても人間というものを知っていないと分かりようもなく、それはやはり…難しい(ちなみに作品を見るのもまったくのナイーブでは分かりようもない)。社会に出てそれなりに経験を積んだ今、学問というものをもう一度やり直したい気持ちがある。

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