山下和仁ギターリサイタル「ゴヤの絵による24のカプリチョス全曲演奏会」

1音目から魂を引っこ抜かれてしまった…。ご存じ、世界の山下のコンサートである。最初っからフルスロットル、放つ衝撃に圧倒され、終演後も余韻が消えない…

会場であるイタリア文化会館

3人の偉大な芸術家によるコンサートである。スペイン最大の画家と呼ばれるフランシスコ・デ・ゴヤが1799年に出版した版画集「ロス・カプリチョス」(カプリチョスは『気まぐれ』の意)、その全80枚の中から24枚を選びギター作曲家の大家マリオ・カステルヌオーヴォ=テデスコが曲を付けた組曲「ゴヤの絵による24のカプリチョス」、それを日本が誇るギタリスト山下和仁が演奏するのである。

ロス・カプリチョスは当時の貴族や聖職者、そして庶民の堕落を描いた風刺画である。コントラストのある版画である。喜びや楽しさという明るい面と、嘘や欺瞞、悪徳、迫害など人間の暗い面を1枚の中に描いている。描かれる人物は活き活きとして、滑稽で、そしてグロテスクである。(ゴヤはその後「戦争の惨禍」「我が子を喰らうサトゥルヌス」などグロテスクというかグロ方向に突き進むのであった。)

ステージ後方に巨大なスライドを投映し、通常ならステージ中央に位置する演者は脇に寄る。ゴヤの版画を見ながら演奏を聴くのである。会場は消灯され手元も見えぬほど暗く、ステージ上の山下氏に控えめなスポットライトが当たるのみである。コンサートは第1番「フランシスコ・ゴヤ・イ・ルシエンテス、画家」で幕を開ける。ゴヤの版画の世界を広げるストーリー・テラーとしての演者、との想定は一瞬で裏切られる。優れたアートは一目で分からせるように、優れた演奏家は一音で分からせる。最初の1音目で真っ暗な空間が山下氏の放つ光で満たされ、音楽の旅が始まる。いや、旅なんて悠長なものではない。ジェットコースター、それも一瞬でトップスピードに到達するタイプのジェットコースターだ。CDで予習はしていたが、生で聴く山下氏はまさに鬼神、縦横無尽、爆音爆速で躍動していた。

第1番「フランシスコ・ゴヤ・イ・ルシエンテス、画家」(版画画像はすべてwikipediaより)

最初の数曲は急発進の慣性に押しつぶされていたが、もちろん曲の世界、音楽の表現するところが疎かだったということでは無い。あまりメモが取れずにいたが、記憶にある分を以下に記す。

12番「仕方がなかった」。暗い感情、にじむような後悔が感じられる。魔女狩りにより迫害され処刑されゆく無実の人と囃し立てる人々が版画には描かれている。暗くじめじめした印象が表現されていた。

第12番「仕方がなかった」

18番「理性の眠りは怪物を生む」は全24曲のうちの1つでありながら大曲の風格・密度を持つ曲である。絵の中の眠っている人物はゴヤであると言われており、背後の動物(フクロウ、コウモリ、ピューマ?など)は怪物のように広がる夢の世界を意味するのだろうか?それとも怪物がゴヤに絵を描けとどやしているのだろうか?どちらにしろ視線は上方へ昇り、私は未知の者に対する恐ろしさを感じた。曲も大曲感、ダークな上昇感というのだろうか、荘厳さを感じた。(これを書いている今、他のギタリストが演奏するこの曲を聴いてみたのだが印象が全く違った。山下氏の迫真の演奏が大曲へと変貌させたのだろうか?もちろんどの曲も迫真の演奏ではあるが。)

第18番「理性の眠りは怪物を生む」

24番「嘘と無節操の夢」。最後の曲である。顔が2つある女性が2人、その女性にすがりつく男、よくわからない顔だけの人物、ヘビにカエル、遠方に見える要塞…奇妙でまさにグロテスクな1枚である。長かった全曲演奏会も第1番の主題で幕を閉じる。万感の演奏である。

第24番「嘘と無節操の夢」

鳴りやまぬ拍手。山下氏は舞台袖に引っ込んでも鳴りやまぬ拍手に応えるためまた戻ってを繰り返し、都合3度のカーテンコールを浴びた。私は素晴らしい演奏を全身に浴びて湯あたりのような余韻がしばらく抜けず、会場を後にしてもすぐ電車に乗ろうとも思わず、心身の熱気を放散するように歩き回ったのであった。

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